サイスパージ異界観測室0.5
「そもそも本当なら、この時空には人類なんて居なかったそうだ」
「この時空には霊子種という存在がいた。
とりあえずここからは霊子種のことを『スロウン』と呼ばせてもらう」
「彼らスロウンはとても高度な技術の持ち主で目的もあったが、大きな問題があった。
スロウンは物理的接触に多大なエネルギーを浪費する種族だった」
「スロウンは目的の為に『惑星を育てる』必要があった。
惑星に文明ってものを生んで惑星を育てる必要が。
だが物理的接触によるエネルギーの浪費と効率からどうもうまくいかない」
「何度目かに至る時空振動の実験中にそれは起きた」
「時空振動の最中で、彼らは乖離した遠い時空を覗くことが出来た」
「乖離した別の時空には、彼らにとってとても都合が良い生体が存在したんだ」
「惑星に文明を育てる、人間という名前の存在が」
「スロウンは強烈な時空振動を起こすことで幾らかの人間を無理やりこちらの時空に漂流させた」
「こうして雑な強制転移による時空漂流によって、スロウンは各惑星に人間を居住させ、文明を咲かせ、惑星を育てさせた」
「ワンドウォン、アルカゼロ、イリヴァル、ウッドベース…その他様々な惑星に人類を住まわせた」
「その先がどうなったか?」
「それは僕の専門外だ。彼らに尋ねるか、自分のその瞳で確かめるといい」
「この時空には霊子種という存在がいた。
とりあえずここからは霊子種のことを『スロウン』と呼ばせてもらう」
「彼らスロウンはとても高度な技術の持ち主で目的もあったが、大きな問題があった。
スロウンは物理的接触に多大なエネルギーを浪費する種族だった」
「スロウンは目的の為に『惑星を育てる』必要があった。
惑星に文明ってものを生んで惑星を育てる必要が。
だが物理的接触によるエネルギーの浪費と効率からどうもうまくいかない」
「何度目かに至る時空振動の実験中にそれは起きた」
「時空振動の最中で、彼らは乖離した遠い時空を覗くことが出来た」
「乖離した別の時空には、彼らにとってとても都合が良い生体が存在したんだ」
「惑星に文明を育てる、人間という名前の存在が」
「スロウンは強烈な時空振動を起こすことで幾らかの人間を無理やりこちらの時空に漂流させた」
「こうして雑な強制転移による時空漂流によって、スロウンは各惑星に人間を居住させ、文明を咲かせ、惑星を育てさせた」
「ワンドウォン、アルカゼロ、イリヴァル、ウッドベース…その他様々な惑星に人類を住まわせた」
「その先がどうなったか?」
「それは僕の専門外だ。彼らに尋ねるか、自分のその瞳で確かめるといい」
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サイスパージ異界観測室0
誰か。
誰にも予測も計算も出来なかった誰かを待っていた。
この事態とは何の関連性も見いだせないイレギュラー。
特別価値もないはずだった小さなエラー。
そんな存在がどこかに居て。
もし、ここにたどり着いたなら。
予想外の誰かが、運命とは関係もなく、この扉を開いてくれたなら。
誰かが扉を開けてくれたなら。
その時。きっと私は。
誰も見たことがない未来を見られる。
一条の光が差す。
扉がゆっくりと開かれる。
扉のその向こう側には。
ただの少年が顔を覗かせていた。
誰にも予測も計算も出来なかった誰かを待っていた。
この事態とは何の関連性も見いだせないイレギュラー。
特別価値もないはずだった小さなエラー。
そんな存在がどこかに居て。
もし、ここにたどり着いたなら。
予想外の誰かが、運命とは関係もなく、この扉を開いてくれたなら。
誰かが扉を開けてくれたなら。
その時。きっと私は。
誰も見たことがない未来を見られる。
一条の光が差す。
扉がゆっくりと開かれる。
扉のその向こう側には。
ただの少年が顔を覗かせていた。
if.prologue
if.PROLOGUE
それは何もない至って平和な時期に訪れた。
「先生、おはよーございます」
シェリーは元気よく大好きな担任に挨拶をした。
今日は学校行事で山にキャンプに行くことになっていた。
キャンプ行きのバスに乗って座席に腰を据えると、シェリーはうきうきと自分のリュックを抱きしめた。お気に入りのリュックには人気ゲームのキャラクターの絵が刺繍されている。
バスが発進する。心地の良い振動に身を任せ、シェリーは横を向いた。
バスの車窓から過ぎ行く光景を眺める。
若い女性が犬の散歩をしていた。
喫茶店で初老の男性がカウンター席について、親しげにお喋りをしていた。
親子連れがショッピングモールに足を運んでいた。
人々はそれぞれの日常を享受して幸せそうに笑い合っていた。
それが伝播したようにシェリーもバスの座席でくすぐったそうに微笑してた。
だから、それが起きたのは本当に突然だった。
シェリーは身体のバランスを崩して、車窓におでこをぶつけそうになった。
生徒達にざわめきが起きる。先生も不審げに運転席を見る。
バスが急停車したのだ。
「何だ?」
何故バスが停まったか。理由はすぐ分かった。
バスの正面を見れば、そこには一人の青年が立ち尽くしていた。
往来は少ないとはいえ、道路の真ん中に立つなんて正気ではない。バスに轢かれて死んでてもおかしくなかったはずだ。
柔らかい茶髪に翠緑の瞳を持った、顔立ちの整ってる青年だ。俳優か何かだろうかと見紛う容姿をしている。
「なあに? あの人」
「何で道路に突っ立ってるんだろ?」
「頭がおかしいんじゃないか」
「でも、顔はすっごくかっこいいよ?」
「テレビの俳優さんに似てるね」
近くに座る女子はきゃっきゃとはしゃいでるが、何故だかシェリーは共感出来なかった。
明確な根拠はない。でも青年の目を見て、思わず独りごちていた。
「何だかあの男の人、目が怖い……」
青年はバスの前からどく気配がない。仕方なく運転手はバスから降りて、青年に近寄って声をかけた。
「あの。ここに居たら、轢かれちゃいますよ。どうかされました?」
道路の中央に堂々と立っているのだ。
どう見たってこの青年の方が悪いのだが、大人しい性格の運転手は心配そうに声をかけた。何かの事故でもあったのかと懸念してるのだ。
「こんな道路の真ん中に立ってたら、危ないですよ。もしも何かあったんなら」
運転手の声が途切れた。
奇妙なものがバスの車窓を通して見えた。
運転手の頭から腹までが地面にずり落ちたのだ。
マジックショーで見たことがある。
マジシャンは自らの身体を真っ二つにしてみせるのだ。でもそれは手品なんかじゃなかった。
運転手の身体は大量の血溜まりのなかに崩れ落ちていった。
青年の顔の半分には真っ赤な返り血が付着していた。
バスの中が途端に沈静化した。
青年の手は仄かに光が灯っていた。透明な緑色の光の膜が手を覆ってて、それでバスの運転手の身体を裂いたのだ。
誰もがそれを見て、理解していた。
あの青年は人間じゃない。
バスから逃げる暇はなかった。恐ろしい程の瞬発力で青年はバスに乗り込んできた。
シェリーは呆然として青年を見上げていた。
真っ赤な花弁が視界に舞い散った。
目の前で何が起きたか、一瞬わからなかった。遅れて気づく。先生が自分の盾になって、そして切り裂かれたのだ。
「……先生?」
呼びかけながらも頭では理解してた。大好きな先生はもう動かなくなったのだ。
シェリーは乾ききった口から微かに悲鳴を漏らした。
大声が出なかったのは、恐怖もあったが混乱の度合いが大きいせいだ。この異常すぎる事態は、自分が受け止められる容量を大幅に超えていた。
青年はシェリーに手を近づけた。彼女は自分も先生と同じ末路を遂げるのだと理解してた。覚悟ではなく一瞬の思考でそう判断していた。
私、ここで死ぬんだ?
不思議と客観的な冷静ささえ伴って、そう感じた。
だけど。いつまで経ってもその時は来ない。怪訝に思って顔をあげる。すると妙なことが起きていた。
目の前で突き出された青年の腕が大きく震えていたのだ。
「な……。何?」
場違いながら壊れかけの洗濯機を思い出した。衣類が引っかかって大幅に振動するあの姿によく似ていた。
青年の腕が自分の手を掴んだ。
「ひ……」
チクリと注射に似た痛みを感じた。大した痛さではない。
青年はあっさりと自分の手を離した。
シェリーは目眩と共にその場に倒れこんだ。バスの床に伏すと意識が陰ってついには気絶した。
「ん……っ」
再び目を覚ました時、そこは真っ赤な世界が出来上がっていた。バスの中には切り裂かれた死体が詰められていた。先生やクラスメート達は全員死んでいた。
「何で?」
恐怖と悲しみで顔を蒼白にしながらも、疑問が湧き上がる。
「何で……私だけ、殺されずに生き残ったの?」
シェリーはハッとして手を見る。あの青年に掴まれた手を。
「これは……」
自分の手には妙な金属片が刺さっていた。そしてその金属片がどうしても取れない。一体これは何なのだろう?
シェリーはとにかく誰かに助けを求めようと、バスの外に出た。
通り過ぎたばかりの喫茶店があって、そこに行ってみた。
ふらふらとおぼつかない足取りで店内に入る。
そして絶望した。そこにはバスの中と何ら変わらない光景があった。生存者は誰も居ない。
客が飲んでたコーヒーはぶちまけられていて、まだ乾いてない流血と混じり合っていた。
足音がして彼女は飛び退いた。
「きゃ……!」
目の前には男がいた。
さっきとは別の青年だ。彼女はその目を見て、男があの青年と同種の存在だとすぐに察した。彼がこの喫茶店の人々を惨殺したのだ。
逃げ出そうとしたが床板のくぼみに躓いて、転んでしまった。
死を覚悟した。でも何も起きない。
男は転んだシェリーのことを放って、店の外へと出て行った。悲鳴が聞こえた。また誰かが犠牲になったのだ。
喫茶店の床でシェリーはガタガタと震え上がっていた。
「何なの?」
恐怖と混乱がない交ぜになって、彼女の心臓を責め立てていた。
「何であいつら、私のことだけ無視するの?」
あの殺戮者達は、自分のことを素通りして殺そうとはしないようだ。他の人達は徹底的に始末するのに、シェリーのことは無視してる。
「理由は分からないけど……。あいつらは私を殺す気はないってこと?」
殺戮者達はどうやら、シェリーには危害を加えないようだ。彼女のことは素通りする。
それがどうしてかは分からない。
困惑の方が大きすぎて、喜べる余裕もない。
膝小僧をさすりながらシェリーは店の外に出た。
そして目を見開いた。
生き残ったのが幸運だとは必ずしも思えないぐらい、目の前の光景はあまりにも陰惨だった。
崩壊したビル群、死体の山、スクラップにされた車体の波。
容赦のない地獄絵図がそこに広がっていた。
「……どうして」
何でこんなことが起きてるのか。理解が追いつかない。本当だったらキャンプに行ってた。いつもの日常が迎えてくれるはずだった。なのに……。
「何で、こんな静かなの? ねえ」
彼女は気づいていた。
もうこの場の周囲一帯に、自分以外の生存者はほとんど居なくなってるのだ。
あいつらの手によって殺されないのが――自分だけ生き残ったことが幸福なのかどうか。それすら分からない。
脱力した彼女はへたり込んだ。もう泣きわめく気力も残ってなかった。
この先の世界の末路と、自分の未来のことを考えて、シェリーは頬に一筋だけ涙を流した。
彼らは彼らにしか分からない、示し合わせたスケジュールに合わせて、人間狩りを続けている。
アルカゼロ滅亡前
.episode
「ったくよ。いつまで、こんな場所にいなきゃなんないんだか」
雪山の奥深くにある洞窟のなか。
手製の松明以外には光源がないそこに、いくつかの人影があった。
一人は愚痴をこぼしながら、座り込む仲間達のすき間をうろうろと歩いていた。
「このままじゃあ、身体がなまっちまう……」
舌打ちする男を見上げて、一人が顔をあげる。
「うっさいなー。そんなに退屈なら、出てけばあ?」
この中でも年の若い青年が、義手をぷらぷらと振った。
「何だと? 俺に雪山で死ねってのか、テメエは」
「別にいーよ。食いぶちが減って好都合だしさ」
「な……」
義手の青年は振り返って、別の男に笑いかける。
「ねえ。義兄さん」
「……そのくらいにしてやれ」
生真面目そうな男は呆れ気味に答える。
そんな彼を、傍らに居る女性がくすくすと笑みをこぼした。
赤毛の美しい女性だ。この中では紅一点の存在に見える。
彼女と対面した位置に居る、金髪の優男が息を吐く。
「追っ手もここまでは来ないとは思いますが。用心に越したことはありません」
「はー。ったく」
一人うろついてた男が肩をすくめる。
「もしかして死に場所を間違えたかねえ。俺ら……」
あくまで冗談めかして彼は続けた。
「敗残兵にゃ、居場所なんてないもんな」
彼の言うとおりだった。
彼らは敗残兵の集まりだ。
それぞれが生傷だらけの重い身体を引きずってここまで生き延びた。
処刑を強いる追っ手達から逃亡して、この洞窟に行き着いた。
味方も故郷も家族も、すでにない。
彼らは全てを失くし、傷を舐め合うように集まった。
その割には悲観的な空気は薄い。
ある程度、誰もが最期のときを覚悟してるからか、異様に図太いのか。神経が麻痺してるのか。
彼ら自身にも、とうに分からなくなっている。
ただ確かなのは……敗残兵をかき集めただけのこの団体には、奇妙な絆が生まれていた。
実際、激高してもいいはずの男の軽口にも、各々が笑って答えた。
「死に場所を間違えた、か。そうかもな」
「はは。しぶといよなあ。俺ら」
自嘲めいた笑い声が洞窟に響く。
本当は誰もが理解してた。
いつまでも逃げ切れるはずがない。
いずれは追っ手に捕まり、そしてこっぴどく処刑されるか、戦って死ぬか。その二択しか道はない。
この先、自分達に救いはない。理解はしてて、だからこそ彼らは悲嘆にくれたりするのは止めていた。
どうせだったら、この急ごしらえの仲間達と笑い合って死ねたなら、それでいい。
誰もがそう思っていた。
だが、これから予想もつかないことが起きた。
実際、彼らは死に場所を間違えたのかもしれない。
これから背負う、身を切るような苦悩の重さを考えれば……。
「何だ? どうした」
入り口の方から、黒髪の男が駆けて来た。
彼は付近の偵察に出ていたのだが。その顔には焦燥の色がありありと見て取れた。
「誰かが洞窟に近づいてきている」
一同に緊張が走った。
「ついに追っ手が嗅ぎつけたか」
「人数は?」
黒髪の男は顔をしかめる。
「一人。……しかし奇妙なんだ」
「奇妙って?」
黒髪の男は説明に困ってるようだった。
彼は意を決して言う。
「俺の見間違いかもしれない。とにかく来てくれ」
彼らは黒髪の男が困惑してた訳を理解した。
洞窟の前に来た彼らは、その訪問者に目を見張っていた。
赤毛の女性が思わず呟いた。
「子供……?」
その通りで雪山の洞窟にやって来たのは、一人の少年だった。
利発そうな瞳を輝かせ、真っ直ぐに立つ姿は賢そうではあるが、外見は何の変哲もない子供だ。
不安気味に彼女は肩をすぼめた。
気味悪く思うのも無理はない。
こんな雪山の奥深くに、幼い子供がたった一人で来られる訳がない。
しかも子供の姿は雪山での出で立ちとはとても思えなかった。シャツにジーンズという簡素な格好だ。
薄着の子供の登場は、この雪山では異様としか思えなかった。
敗残兵らの前で子供は頭を下げた。
「こんにちは。皆さん」
年端のいかない子供には不釣り合いの、堂々とした態度と口調もどこか変だ。彼らの当惑が深まる。
「おめでとう。皆さんは、選ばれたんだ」
「? 選ばれた、だと?」
子供はうなずく。
「君たちには、方舟(はこぶね)に乗る権利がある」
あまりに唐突な物言いに彼らは眉根を潜めた。
「方舟?」
「何かの例えかな……」
囁き合う彼らに構わず、子供は両腕を広げて説明する。
「ここは捨てて、さっさと逃げた方がいいよ」
「君は、いったい……」
「終わりが近い。この惑星はやがて滅びる」
子供は感情のない声音で告げた。
「この惑星は将来……これ以上はないくらいの、最悪の終末を迎える」
不思議な子供が語る話に、敗残兵達は聞き入ってたが、これには流石に失笑を漏らした。
もうすぐ世界が終わるだと?
単なる子供の妄想としか思えない。
彼らの一人が代表するように、かぶりを振って嘲笑する。
「何を馬鹿な……」
子供は彼の言葉を遮って言う。
「今から君らには。方舟に乗るための旅支度をしてもらう」
子供はポケットから何かを取り出した。
白い筒のようなものだ。ちょうど掌に収まるぐらいの大きさをしてる。
彼は筒の蓋を空けた。
その中では、妙な渦巻きがぐるぐると回転して宙に浮いていた。
「残念ながら。方舟に乗られる定員は少ない」
アーリープロジェクト
.No Title
――3
聴覚センサが、何らかの音声を拾い上げた。
――73
起動したばかりで、まだあちこちの反応が鈍い。
それでも僕は僕を認識しようと努める。
そうだ。僕は人を模倣したアンドロイド。
僕が初めて目覚めたのは、この水槽の中だ。
(ここは……保存ポッドの中?)
液体が充満したこのポッドの中、僕は初めて意識とやらが浮上したのだ。自己意識が段々と確率されていく。
ポッドには丁度頭部の部分に四角い窓が付いていて、そこから誰かが僕の顔を覗き込んでいる。
音声の主は彼らしい。
「やあ。目が覚めたかい? 『LA173』」
LA173。彼はその英字と数字の組み合わせを何度も繰り返している。
その英字と数字って……もしかしたら僕のことを指してるの?
僕が表情で訴えると彼は頷く。
「そう。さっきから僕が呼びかけてるのは君のナンバリングだ」
「僕の……ナンバリング?」
実感がわかない。どうしたことか。重要なはずのナンバリングの情報が、僕のデータに内臓されてない。
「自分のナンバリングに自覚がないのも無理はない。
何故だか僕らの識別番号は、ポッドに刻まれてるだけだ」
「……なんだって?」
「どういう訳かな。僕達の自機データにナンバリングが内臓されてないんだよ」
自分自身のナンバリングを認識出来ない……? どうにも奇妙だ。思考アルゴリズムの完全性を確認してから僕は他の仲間について尋ねた。
「うん。実は君は、この中で一番最後に目覚めた個体だ。つまり君は……いわば僕らの『末っ子』というところかな?」
どこか楽しげに声の主は語る。
かすむ視界のなか、よく見ればそこに居るのは一体だけではないようだ。彼の背後には複数の陰が見える。
ポッドの中で仰向けになったまま僕は修正した通信区画を改めて開き直す。そして最も重要な疑念を相手にぶつける。
「僕は……。僕は誰だ?」
人型アンドロイド。それは当然理解している。
だがもっと根本的なことがわからない。
「僕はいったい何者だろう? 何の為に、何が目的で。人間は僕らを造ったんだ?」
どうして僕らは生まれてきたのか。
アンドロイドとして当然の疑問だったが、窓の向こうの彼らは一様に困った反応をしてみせた。
代表してか僕のナンバリングを読んだ彼が続けて答える。
「僕らが何者か、だって? ……そいつが分かったら苦労はしないよ」
「え……」
「何せ皆が皆、僕らが何でこの惑星に居るんだか、自分の存在意義を疑問に思ってる」
どういう意味だ? 僕は思考を深めて察した。どうやら彼らも僕同様に、この現状に戸惑ってるようだ。
「僕らに分かってる事実といえば……僕らの創造主である人間達は、とうにこの惑星から居なくなってることさ」
驚愕した僕はポッドの中で反射的に身をよじった。
「この惑星『アルカゼロ』には、もう人間なんか一人もいない」
彼は芝居じみた動作で両手を広げる。
「ここは無人惑星だ。そして、ここはその地下施設。分かってるのは本当にそれぐらいだ」
妙なことだ。僕は大きく混乱した。
僕らは目的も命令もないままに、この保存ポッドで待機させられていた?
それに創造主である人間が、もうこの惑星には居ないだって? どういうことだ。
「この惑星が無人だというなら……。
それでは……人間たちは一体どういった理由で僕らを造ったんだ?
人が居ない無人惑星に、どうしてアンドロイドを置き去りになんてしたんだ?」
混乱する僕を励ますように彼は言った。
「大丈夫さ。これはちょっとした『旅』だと思えばいい」
急に飛び出た単語に僕は目を瞬く。
「……旅?」
ついオウム返しに言う僕に彼は顎を引く。
「そう。
これから僕らは、自分が何者かを知る為の、旅に出るんだ」
彼は肩をすくめて片目を閉じる。
「そうやって少しずつ、人間達の真意を探っていけばいい」
旅。どことなく詩的な響きに僕の緊張も少し和らいだ。それを認めてかおどけた調子で彼は言った。
「自分がいったい何者なのかを探る時間帯は、一種の旅なんだと思えばいい」
彼はおどけた調子で言う。
「ただし油断はするなよ?
この旅はきっと……随分と長い旅路になりそうだから」
彼が言う『旅』という表現のおかげか、困惑から脱して少しだけ余裕が出来た。
どうして人間は、無人惑星に僕らアンドロイドを置き去りにしたのか?
やはりまるで分からない……。僕らを造った人間達の真意は、僕らが自分で探す他ないようだ。
僕は室内を見回す。すると部屋の正面にあるそれを発見した。
(あれは?)
緑白色に発光した四角い形状の物質が壁面を覆っていた。
電子パネルだ。
壁面に掲げられた安っぽい電子パネルの下部には、この惑星の現在の状態が明記されていた。上部にはメッセージのようなものが……何だかよく分からない、意図不明の謎の一文が添えてある。
(何だ? あのメッセージは、一体どういう意味だろう……)
電子パネルには、次のような簡素な一文があった。
『あなたに誰も見たことがない未来を』
アニタ・グランダ
惑星:アルカゼロ
現時点での生体反応 0名
――3
聴覚センサが、何らかの音声を拾い上げた。
――73
起動したばかりで、まだあちこちの反応が鈍い。
それでも僕は僕を認識しようと努める。
そうだ。僕は人を模倣したアンドロイド。
僕が初めて目覚めたのは、この水槽の中だ。
(ここは……保存ポッドの中?)
液体が充満したこのポッドの中、僕は初めて意識とやらが浮上したのだ。自己意識が段々と確率されていく。
ポッドには丁度頭部の部分に四角い窓が付いていて、そこから誰かが僕の顔を覗き込んでいる。
音声の主は彼らしい。
「やあ。目が覚めたかい? 『LA173』」
LA173。彼はその英字と数字の組み合わせを何度も繰り返している。
その英字と数字って……もしかしたら僕のことを指してるの?
僕が表情で訴えると彼は頷く。
「そう。さっきから僕が呼びかけてるのは君のナンバリングだ」
「僕の……ナンバリング?」
実感がわかない。どうしたことか。重要なはずのナンバリングの情報が、僕のデータに内臓されてない。
「自分のナンバリングに自覚がないのも無理はない。
何故だか僕らの識別番号は、ポッドに刻まれてるだけだ」
「……なんだって?」
「どういう訳かな。僕達の自機データにナンバリングが内臓されてないんだよ」
自分自身のナンバリングを認識出来ない……? どうにも奇妙だ。思考アルゴリズムの完全性を確認してから僕は他の仲間について尋ねた。
「うん。実は君は、この中で一番最後に目覚めた個体だ。つまり君は……いわば僕らの『末っ子』というところかな?」
どこか楽しげに声の主は語る。
かすむ視界のなか、よく見ればそこに居るのは一体だけではないようだ。彼の背後には複数の陰が見える。
ポッドの中で仰向けになったまま僕は修正した通信区画を改めて開き直す。そして最も重要な疑念を相手にぶつける。
「僕は……。僕は誰だ?」
人型アンドロイド。それは当然理解している。
だがもっと根本的なことがわからない。
「僕はいったい何者だろう? 何の為に、何が目的で。人間は僕らを造ったんだ?」
どうして僕らは生まれてきたのか。
アンドロイドとして当然の疑問だったが、窓の向こうの彼らは一様に困った反応をしてみせた。
代表してか僕のナンバリングを読んだ彼が続けて答える。
「僕らが何者か、だって? ……そいつが分かったら苦労はしないよ」
「え……」
「何せ皆が皆、僕らが何でこの惑星に居るんだか、自分の存在意義を疑問に思ってる」
どういう意味だ? 僕は思考を深めて察した。どうやら彼らも僕同様に、この現状に戸惑ってるようだ。
「僕らに分かってる事実といえば……僕らの創造主である人間達は、とうにこの惑星から居なくなってることさ」
驚愕した僕はポッドの中で反射的に身をよじった。
「この惑星『アルカゼロ』には、もう人間なんか一人もいない」
彼は芝居じみた動作で両手を広げる。
「ここは無人惑星だ。そして、ここはその地下施設。分かってるのは本当にそれぐらいだ」
妙なことだ。僕は大きく混乱した。
僕らは目的も命令もないままに、この保存ポッドで待機させられていた?
それに創造主である人間が、もうこの惑星には居ないだって? どういうことだ。
「この惑星が無人だというなら……。
それでは……人間たちは一体どういった理由で僕らを造ったんだ?
人が居ない無人惑星に、どうしてアンドロイドを置き去りになんてしたんだ?」
混乱する僕を励ますように彼は言った。
「大丈夫さ。これはちょっとした『旅』だと思えばいい」
急に飛び出た単語に僕は目を瞬く。
「……旅?」
ついオウム返しに言う僕に彼は顎を引く。
「そう。
これから僕らは、自分が何者かを知る為の、旅に出るんだ」
彼は肩をすくめて片目を閉じる。
「そうやって少しずつ、人間達の真意を探っていけばいい」
旅。どことなく詩的な響きに僕の緊張も少し和らいだ。それを認めてかおどけた調子で彼は言った。
「自分がいったい何者なのかを探る時間帯は、一種の旅なんだと思えばいい」
彼はおどけた調子で言う。
「ただし油断はするなよ?
この旅はきっと……随分と長い旅路になりそうだから」
彼が言う『旅』という表現のおかげか、困惑から脱して少しだけ余裕が出来た。
どうして人間は、無人惑星に僕らアンドロイドを置き去りにしたのか?
やはりまるで分からない……。僕らを造った人間達の真意は、僕らが自分で探す他ないようだ。
僕は室内を見回す。すると部屋の正面にあるそれを発見した。
(あれは?)
緑白色に発光した四角い形状の物質が壁面を覆っていた。
電子パネルだ。
壁面に掲げられた安っぽい電子パネルの下部には、この惑星の現在の状態が明記されていた。上部にはメッセージのようなものが……何だかよく分からない、意図不明の謎の一文が添えてある。
(何だ? あのメッセージは、一体どういう意味だろう……)
電子パネルには、次のような簡素な一文があった。
『あなたに誰も見たことがない未来を』
アニタ・グランダ
惑星:アルカゼロ
現時点での生体反応 0名
ミステリーとホラーの境界
僕がその探偵事務所に向かうのは、日課のようなものだった。
近所に越してきた彼が、僕の家に挨拶に来たのがそもそもの始まりだ。
「どうも。ここに最近引っ越してきました。二条と申します」
奥の目が伺えない深い色合いのサングラスをかけた彼は、二条と名乗った。外見の胡散臭さとは裏腹に礼儀正しい男で、家族ぐるみで彼と親しくなるのは時間の問題だった。
小学生の僕が彼の事務所に足繁く通うようになったのは、純粋な好奇心から。
――二条が語る話を聞くためだ。
彼の話す内容は、同級生のものとも先生のものとも違った。
僕は二条の話を聞きたくて、放課後に他に用がなければ、必ずそこに向かう。
二条は探偵だ。お客と鉢合わせたり、仕事の邪魔になりやしないかと言われそうだが、僕は今まで彼が客と対面した所を見たことが一度もない。
客が来ないのに、どうやって仕事を続けてるのか。子供心に気にはなったが。直接尋ねたことはない。
大げさかもしれないが、尋ねたらもうここには来られないような、そんな直感が僕にはあった。
「じゃあ、今日はミステリーとホラーの違いについて教えてやるか」
開口一番に二条は僕にそう言った。
本当なら面会に来たお客が座るだろうソファに、僕は腰を落ち着けていた。二条の言ったことが腑に落ちず、僕はまばたきをした。
「考えるまでもなく全然違うんじゃないの?」
目の前にある木製のテーブルにはオレンジジュースの注がれたグラスがある。
僕はそれを持ち上げてストローから一口飲んだ。
二条は僕に笑いかける。
「ほう。たとえばどこが違うか言ってみろ」
「ホラーはお化けを怖がるもの。ミステリーは犯人をあてるもの。このぐらい誰でも分かるよ」
「だが『日常から非日常に変わるもの』と思ってみると随分と似たものに見えてこないか」
僕はジュースから視線を思わず持ち上げた。
二条は何を考えたのか。
一枚の適当なチラシを選び、それと引き出しからボールペンを持ちだして、再び僕の前に座った。
何をする気か検討もつかない。
だが僕はまたいつものように、気づかぬ内に彼の話に引きこまれ、夢中になっていた。
「推理小説では、探偵ってのは一種の『装置』みたいなものだ」
「装置?」
「登場人物を非日常から日常に帰す装置。ぞんざいに言ってみればホラーとミステリーの違いは、探偵役がいるかいないかだな」
僕はストローを気まぐれに噛んでから、二条に聞く。
「何言ってんのさ。さっきも言ったけど、ホラーとミステリーにはもっと大きな違いがあるだろ。ミステリーに出る犯人は、ゾンビとか幽霊じゃないんだから」
「だが犯人が見つかるまでは、定かじゃないだろ」
「え?」
「殺人現場に出くわすなんてのは、普段の環境からすれば充分な非日常だ。急に誰かが殺された。どうしてだ? いったい誰が? 登場人物達はきっと大きく混乱する。――それこそ、ゾンビやお化けにでも会ったようにね」
ストローからジュースをすする音がぴたりと止まった。
「人が殺害された経緯と、犯人の特定。これが済むまでは全員が恐怖に混乱するばかり。犯人が見つかるまでに、次の被害者が出ちまうかもな」
二条はさっき持ってきたチラシを掲げてみせた。 何を思ったのか。チラシの真ん中に、ボールペンを突き刺す。
「安定した日常に大きく奇怪な穴を開けた、『殺人事件』という非日常。これを修復するまでは、誰も元の生活に帰れない。ホラー映画さながらにな」
「……」
「そこでたった一つ彼らがすがれる要素。それが『探偵』だ」
二条は真ん中に穴を開けたチラシを折り畳んだ。折られたことで穴が空いた箇所は見えなくなった。
「探偵ってのはな。『犯人』という名前の『現実的な要素』を提示することで、非日常を日常へと戻す装置だ」
二条はチラシをテーブルに置いた。紙がこすれる乾いた音がした。
「犯人が解明されるまでのミステリーってのは、ホラーと同じだ。訳の分からない存在に対して、人々は怯え、疑心にかられる。だが探偵が日常に空いた穴を埋めることで、彼らは無事に安堵を取り戻す」
「……何だか。それってずるいな」
僕は思わず口走っていた。
「ずるい? 何がだ」
「だって。それって全部、探偵の活躍に頼るしかないってことじゃないか」
二条は僕をじっと見ていた。サングラスの奥の瞳はたぶん見開かれてるのだろう。
「普通の人には犯人なんてすぐ見つけられないもの。自分の力で助かる方法はない……。だから探偵に頼むしかない。全部が探偵に支配されてるんだ。なんか、それこそちょっと怖いよ」
無言だった二条はやがて吹き出した。
その反応が面白くなくて僕は彼をにらむ。
「いや、悪い。馬鹿にしたんじゃなくて本当に面白いと思ったんだ」
二条は頬をかく。
「たしかに探偵なんて特別な存在には感情移入がしにくかったりする。そこで『助手』がいる訳だ」
「ワトソンとか?」
「まあな。お前は全て探偵頼りと言ったが……そんなことはない。幾ら探偵でも、たった一人で何もかも出来る訳はない。誰かの協力や援護があって『探偵』って装置は出来上がる。『助手』という人間味のある味方がいるから、『探偵』は成り立つんだ」
「……」
「ミステリーはホラーじゃない。だから『探偵』もただの超人には出来ない。そういう意味では……『助手』っていうのは案外、かなり重要な役目なのかもしれないな」
僕は息をついてグラスをテーブルに置いた。
「なんだか二条のせいで、これからは推理小説とか読んでも、ひねくれて考えるようになりそうだ」
「ま、ただの一説と思って聞き流せよ」
「今さら言うか? ……あっ」
「何だ?」
「だけど。もしもさ」
僕は少しためらってから彼に聞いた。
「もし――『探偵』や『助手』が存在しない、ミステリーがあったとしたら?」
「……」
「やっぱりホラーと違いがあるの?」
「いいや」
二条は再度チラシを手にとると、それを折り畳んだ状態から伸ばして、元の形に戻した。
「『探偵』のいないミステリーには、日常に戻る術がない」
「……」
「だから」
二条はチラシを引き裂いた。
丁度さっきボールペンで穴を開けた箇所を通して、チラシは二つに破られた。
「探偵がいなきゃ、全員が犯人という名前の『怪物』に食われて、それで終わりだ」
僕は何故か一言も発せられなかった。
グラスの中の氷が音を鳴らした。
「誰も元の日常には帰れないんだ」
二条は破れたチラシを見せながら、僕に向けて微笑した。
「ホラーは、それで正解だろ?」
近所に越してきた彼が、僕の家に挨拶に来たのがそもそもの始まりだ。
「どうも。ここに最近引っ越してきました。二条と申します」
奥の目が伺えない深い色合いのサングラスをかけた彼は、二条と名乗った。外見の胡散臭さとは裏腹に礼儀正しい男で、家族ぐるみで彼と親しくなるのは時間の問題だった。
小学生の僕が彼の事務所に足繁く通うようになったのは、純粋な好奇心から。
――二条が語る話を聞くためだ。
彼の話す内容は、同級生のものとも先生のものとも違った。
僕は二条の話を聞きたくて、放課後に他に用がなければ、必ずそこに向かう。
二条は探偵だ。お客と鉢合わせたり、仕事の邪魔になりやしないかと言われそうだが、僕は今まで彼が客と対面した所を見たことが一度もない。
客が来ないのに、どうやって仕事を続けてるのか。子供心に気にはなったが。直接尋ねたことはない。
大げさかもしれないが、尋ねたらもうここには来られないような、そんな直感が僕にはあった。
「じゃあ、今日はミステリーとホラーの違いについて教えてやるか」
開口一番に二条は僕にそう言った。
本当なら面会に来たお客が座るだろうソファに、僕は腰を落ち着けていた。二条の言ったことが腑に落ちず、僕はまばたきをした。
「考えるまでもなく全然違うんじゃないの?」
目の前にある木製のテーブルにはオレンジジュースの注がれたグラスがある。
僕はそれを持ち上げてストローから一口飲んだ。
二条は僕に笑いかける。
「ほう。たとえばどこが違うか言ってみろ」
「ホラーはお化けを怖がるもの。ミステリーは犯人をあてるもの。このぐらい誰でも分かるよ」
「だが『日常から非日常に変わるもの』と思ってみると随分と似たものに見えてこないか」
僕はジュースから視線を思わず持ち上げた。
二条は何を考えたのか。
一枚の適当なチラシを選び、それと引き出しからボールペンを持ちだして、再び僕の前に座った。
何をする気か検討もつかない。
だが僕はまたいつものように、気づかぬ内に彼の話に引きこまれ、夢中になっていた。
「推理小説では、探偵ってのは一種の『装置』みたいなものだ」
「装置?」
「登場人物を非日常から日常に帰す装置。ぞんざいに言ってみればホラーとミステリーの違いは、探偵役がいるかいないかだな」
僕はストローを気まぐれに噛んでから、二条に聞く。
「何言ってんのさ。さっきも言ったけど、ホラーとミステリーにはもっと大きな違いがあるだろ。ミステリーに出る犯人は、ゾンビとか幽霊じゃないんだから」
「だが犯人が見つかるまでは、定かじゃないだろ」
「え?」
「殺人現場に出くわすなんてのは、普段の環境からすれば充分な非日常だ。急に誰かが殺された。どうしてだ? いったい誰が? 登場人物達はきっと大きく混乱する。――それこそ、ゾンビやお化けにでも会ったようにね」
ストローからジュースをすする音がぴたりと止まった。
「人が殺害された経緯と、犯人の特定。これが済むまでは全員が恐怖に混乱するばかり。犯人が見つかるまでに、次の被害者が出ちまうかもな」
二条はさっき持ってきたチラシを掲げてみせた。 何を思ったのか。チラシの真ん中に、ボールペンを突き刺す。
「安定した日常に大きく奇怪な穴を開けた、『殺人事件』という非日常。これを修復するまでは、誰も元の生活に帰れない。ホラー映画さながらにな」
「……」
「そこでたった一つ彼らがすがれる要素。それが『探偵』だ」
二条は真ん中に穴を開けたチラシを折り畳んだ。折られたことで穴が空いた箇所は見えなくなった。
「探偵ってのはな。『犯人』という名前の『現実的な要素』を提示することで、非日常を日常へと戻す装置だ」
二条はチラシをテーブルに置いた。紙がこすれる乾いた音がした。
「犯人が解明されるまでのミステリーってのは、ホラーと同じだ。訳の分からない存在に対して、人々は怯え、疑心にかられる。だが探偵が日常に空いた穴を埋めることで、彼らは無事に安堵を取り戻す」
「……何だか。それってずるいな」
僕は思わず口走っていた。
「ずるい? 何がだ」
「だって。それって全部、探偵の活躍に頼るしかないってことじゃないか」
二条は僕をじっと見ていた。サングラスの奥の瞳はたぶん見開かれてるのだろう。
「普通の人には犯人なんてすぐ見つけられないもの。自分の力で助かる方法はない……。だから探偵に頼むしかない。全部が探偵に支配されてるんだ。なんか、それこそちょっと怖いよ」
無言だった二条はやがて吹き出した。
その反応が面白くなくて僕は彼をにらむ。
「いや、悪い。馬鹿にしたんじゃなくて本当に面白いと思ったんだ」
二条は頬をかく。
「たしかに探偵なんて特別な存在には感情移入がしにくかったりする。そこで『助手』がいる訳だ」
「ワトソンとか?」
「まあな。お前は全て探偵頼りと言ったが……そんなことはない。幾ら探偵でも、たった一人で何もかも出来る訳はない。誰かの協力や援護があって『探偵』って装置は出来上がる。『助手』という人間味のある味方がいるから、『探偵』は成り立つんだ」
「……」
「ミステリーはホラーじゃない。だから『探偵』もただの超人には出来ない。そういう意味では……『助手』っていうのは案外、かなり重要な役目なのかもしれないな」
僕は息をついてグラスをテーブルに置いた。
「なんだか二条のせいで、これからは推理小説とか読んでも、ひねくれて考えるようになりそうだ」
「ま、ただの一説と思って聞き流せよ」
「今さら言うか? ……あっ」
「何だ?」
「だけど。もしもさ」
僕は少しためらってから彼に聞いた。
「もし――『探偵』や『助手』が存在しない、ミステリーがあったとしたら?」
「……」
「やっぱりホラーと違いがあるの?」
「いいや」
二条は再度チラシを手にとると、それを折り畳んだ状態から伸ばして、元の形に戻した。
「『探偵』のいないミステリーには、日常に戻る術がない」
「……」
「だから」
二条はチラシを引き裂いた。
丁度さっきボールペンで穴を開けた箇所を通して、チラシは二つに破られた。
「探偵がいなきゃ、全員が犯人という名前の『怪物』に食われて、それで終わりだ」
僕は何故か一言も発せられなかった。
グラスの中の氷が音を鳴らした。
「誰も元の日常には帰れないんだ」
二条は破れたチラシを見せながら、僕に向けて微笑した。
「ホラーは、それで正解だろ?」